

日本統治時代末期、太平洋戦争真っただ中の台湾。農村で暮らす小作人のアファとコウヅエの兄弟は家族とともに貧しい生活を送っていた。母親は耳が遠く、妹は夫を戦争で失って以来、精神を病んでいる。ある日、遠方から地主がやって来て、兄弟に田畑を製糖会社に売り払うと告げる。さらに追い打ちをかけるように日本人に一家の唯一の財産である牛が徴用されてしまう。翌日、村が米軍の空襲を受けるが、敵機が去った後、兄弟の畑に残されたのは一発の不発弾。上官から褒美をせしめようと、兄弟と村の巡査は隣町の駐在所へ不発弾を届けることにするが...。物言わぬ案山子を通して、日本による植民地政策のもと、不条理な状況に置かれた台湾の人々の強かな生き様や戦争の悲哀をユーモアたっぷりにテンポよく描いた。
どこにでもある毎日のくらし。昭和20年、広島・呉。わたしはここで生きている。 すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19(1944)年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主…
>>続きを読む1940年代の中国。資産家のフークイは博打に明け暮れた揚げ句、借金で全財産を失い、妻も子供も家を出て行ってしまう。全てを失ったフークイは生業である影絵芝居の巡業中、内戦に巻き込まれやっとの…
>>続きを読む沖縄石垣島の台湾移民の歴史は、1930年代、日本統治時代の台湾から約60世帯の農家が移り住んだことに始まる。その中に、玉木家の人々もいた。2015年春、88歳になる玉代おばあは、娘や孫たち…
>>続きを読む1945年8月9日の長崎原爆投下まで、市井に暮す人々の24時間を描く。 ささやかな喜びと秘められた哀しみを優しく澄んだ眼差しで追い、戦時下の日本人の心と生活を見事に映し出す。そして、それ…
>>続きを読むここではひとりぼっち、と思ってた。 広島県呉に嫁いだすずは、夫・周作とその家族に囲まれて、新たな生活を始める。昭和19(1944)年、日本が戦争のただ中にあった頃だ。戦況が悪化し、生活は困…
>>続きを読む「昭和20年、9月21日夜、僕は死んだ。」 終戦間もない阪急電車の駅構内。少年・清太は今にも息絶えようとしていた。 清太の持っていたドロップの箱から骨が落ちる。その骨は蛍となり、明かりを灯…
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